メキシコに来て一週間後(12月中旬)に身内に不幸があってお葬式に参列することになった。夫(当時はフィアンセ)の父方のおじいちゃんが亡くなったから。カトリックのお葬式に行ったのは生まれてはじめてだったので、すごく衝撃的だったので忘れないように書いていきます。
メキシコ州の田舎のお葬式だったから、他の地域とはもしかしたら異なるかもしれないです。
亡くなって二日後くらいからすぐミサみたいながあった。でも家族が気をつかってくれて私は家で一人お留守番することに。ポップコーンをお供に一人ベッドでネットフリックス見たりしてた。
埋葬の日にはじめておじいちゃんの家(同じ敷地内にある)へお祈りへ行った。
メキシコに礼服を持って来てなかったし、夫に聞いたら、「ジーパンにスニーカーで大丈夫」と言われた。
普段着ているピンクのコートは着ないで、薄めのピンクのフリースで行った。そしたら、みんな自分と同じ感じで普段着だった。喪主の人とか特にいなくて親戚と近所の人が大勢いた。椅子に座ってみんなでお祈りと歌を歌った。4人の教会から来た歌手?の人たちがギターとタンバリンで演奏してた。すごいにぎやかなの。お花もたくさん用意されていた。お葬式だから悲しいけど、暗くもない何とも不思議な雰囲気でした。
この時が初めて夫の親戚に会う機会でした。お父さんの兄弟は10人いてそれぞれ子供が2〜3人いるの。だからすごい人数。私の親戚も結構多いほうだからそんなにびっくりはしなかったけど、メキシコ人の中に一人だけぽつんとアジア人がいると目立つね。めっちゃジロジロ見られるけど、とりあえず「¡Hola!」って笑顔で言っておけば大丈夫。(だと思う)
親族の若い男の人たち(夫といとこ等)が棺桶を担いで教会まで20分くらいかけて運んだ。教会でミサが1時間くらい。冬の教会ってめっちゃくちゃ寒いの。でも外の日差しが強いからなんだかわけわかんない。
その後墓地へ。お墓に埋葬に行く途中もずーっとお祈りが続いてて、途中で歌ったりして大人数でぞろぞろと通りを練り歩いた。100人近くが練り歩くけど、お葬式ってわかってるから車もちゃんと停まってまっててくれてた。日本だとめっちゃ文句言われそうだなーって思った。
その日はまだ絶賛時差ボケ中だし寒いけど日差しが強くて体温調節が大分おかしい中、軽い山道を1時間近く歩いたからすごく疲れた。そして墓地にたどり着いてから墓地の中の小さな礼拝堂みたいな所に行ってお祈りしてからおじいちゃんのお墓の場所へ。またそこでもお祈りが30分以上あった。
みんな泣いてたし、おじいちゃんには一度も会わないままのお別れだったから、私もすごく悲しくなっちゃった。コロナになってからずっと肺が悪かったから挨拶できなかったんだよね。とても残念でした。
その後、みんなでお墓の前でジュースを飲んだ。その時に出会ったのが、このりんごのソーダ。
Mundet (ムンデット)
めちゃくちゃ喉が乾いてたからすごいおいしくて。「このジュースどこで売ってるの??」とお母さんに確認した笑 そしたら数日後に買って来てくれて、それ以来「かおねひーたのジュース」と呼ばれるようになった。
お墓から帰ってきて、おじいちゃんの家でお酒を飲みながら食事会みたいなのがあったんだけど、私と夫と妹は帰宅してご飯を食べた。
埋葬後の9日間くらいおじいちゃんの家で昼間か夜7時ごろから毎日ミサがあった。冬だったから夜のお祈りはめっちゃ寒くてずっと風邪ひいてた。お祈りの後に、家族が軽食を用意して参列者に出すの。その時にパステスをめっちゃ食べた。あとお母さんのりんごの温かいポンチがめっちゃおいしくておかわりした。
それから最後のミサの日は十字架をお墓に持っていく日で、大きなミサだったからまた親戚が大勢来た。
もうお母さんが疲れちゃってたから、今回は教会と墓地まで車で行った笑 めっちゃ楽だった。その日も教会で1時間ぐらいお祈りをして、墓地に行って十字架を埋めた。帰りに初めて4人乗りの車に6人乗りした笑
帰りは他の人たちも疲れてて、誰かの車にこうやって相乗りしてる人たちでいっぱいだった。もう見慣れてきたけど、すごいよね。
やっぱメキシコ強い。
読んでくれてありがとうございました😊
¡Nos vemos!